文化遺産遺跡めぐり

埴輪
6世紀に造られたと思われる西赤堀の狐塚古墳からは、男女2基
ずつの人物埴輪のほか馬形埴輪も見つかっています。ほぼ完全な形
に復元できた1基は、腰に刀を下げており、頭ははちまきのように耳
の脇で髪の毛を束ねたミスラと呼ばれる髪型をしていたと思われ、男
性の武人であったと考えられます。
楼門(万願寺)
この楼門(二階造りの門)は、木の組方などに室町時代のおもかげ
を残していますが、全体的な特徴から江戸時代初期の建物と考えら
れています。豪壮な外観は男性的で、柔和な薬師寺と好対照です。
昭和31年に、茅葺から瓦葺に改められています。
木造阿弥陀如来坐像
典型的な定朝様式の阿弥陀如来像で、宇治の平等院鳳凰堂の本尊
や日野法界寺の本尊などと様式を等しくするものです。小粒の美し
い螺髪・目尻の少し下がった半開きの眼・張りのある丸顔・小さめの
口・両手を膝の上に置いて定印を結んだ姿は、誠に静寂です。広い
胸・浅い彫りの衣・整然とした衣褶など、藤原時代の貴族の趣向を
如実に示したものです。
農業自得の原本と版木
田村仁左衛門吉茂(寛政2年・1790年生まれ)が、自らの体得
による農業技術や経営を書き綴った本で、その技術は今日の
農業に大きな影響を与えました。天保12年(1841年に作られた
原本には、平田篤胤(江戸の農学者)の朱書の加筆があり、篤胤
序文に始まる上下二冊の原本と160頁分の版木80枚が完全な
形で保存されています。
上三川城址
建長元年(1249年)、横田頼業によって建築された上三川城
は、東西500m、南北700m〜800mの城地であったと考え
られています。複郭の遺構は部分的ではあるものの、本丸址はよく
保存され、上三川の歴史を探る上で極めて貴重な存在となっていま
す。350年の長きにわたり城を守った横田・今泉両城主は、城址
近くの墓に今も眠っています。


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上三川町役場

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